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雨を縫う

11月12日

早朝

今月2度目の帰省で新幹線に乗るために、早朝家を出る。
まだ少し暗い。そして思っていたよりも雨が強い。
天気は西から回復するという、出掛けに聞いた天気予報をあてにして、
晴れれば荷物になる傘を嫌い、地下鉄横浜駅の入り口まで走る。




11月3日

病院

兄からの電話で父の入院を知らされたのは、10月23日の晩だった。
脳内出血を起こして倒れ、命に別状ないが、左半身が麻痺しているとのこと。
意識はあるし、こちらの言うことはわかるようだというので、休暇はとらず、
翌週3日の祝日に様子を見に行く。
入院先は実家の近くの町立病院だ。
実家は広島の町から中国山地側へずっと入った田舎で、日に数えるほどしかバスがない。
まともに行ってはあまりにも時間がかかるので、広島駅から在来線に乗り継ぎ40分、
病院までの中間地点である兄の店に寄る。(ここへも、電車は1時間に約2本くらいしかないが)
兄の店で車を借りて、そこから運転すること1時間、自宅から約7時間の道のりを経て、
やっと見慣れた病院に辿りつく。
ここは母が1年の入院の末に亡くなった病院だ。ここに来る時はいつだって
鉛を飲んだように気持ちが重い。

兄に聞いていた病室には居らず、病室の名札を見て探したが父の名前がないので、
詰所で看護婦さんに尋ねると、病室が変わったとのことで、言われた部屋に行き名札を見ると、
やはり父の名前はなかった。
手前の同室の方に遠慮しつつ病室に入ると、父はよく眠っていた。鼻が詰まるのか、口をあけている。
この日のうちに帰らねばならないので長居は出来ない。躊躇したが、父の手をとり声をかける。
目をあけた父は私を見て驚いたような顔をして黙っている。メガネを外しているので
よくわからないのだろうか。

様子を見に来たのだと言う私を見て父は泣く。

日頃父と私はあまり気が合わないので頻繁には連絡を取り合わない。
だから、久しぶりに会ってもあまり話さないし、話すことは世間話などではなく要点ばかりだ。
この日の要点は、「私がいかに父を心配していたか」ということと、「父が一命を取り留めたことが
いかに幸運であったか」ということだった。
こんな話をすれば、やはり父は泣く。
年をとって涙脆くなってはいたが、事務的な話以外は、何を話してもすべて泣くのだ。
左目からも涙は出ているのに、動く右手で右目ばかりを拭うので、私が左目を拭ってやる。
少し話が途切れると、薬の所為なのかすぐに眠り始めるので、眠ったあいだに、
病院の近くである実家へ行った。


実家

当然誰も居らず、しーんという音がする家の中に入る。
いつも帰省した時と同じように、おそろしく散らかっているに違いないと思っていたが
入ってみると、存外すっきりしている。
いや、台所などは、夏の帰省時に私が片づけていったままの様子が保たれている。
その時説明した通り、ちゃんとゴミを何種類もの袋に分けて入れている。
冷蔵庫の中も、綺麗なままだ。

食堂のテーブルの上は、片づけきれなかったのでいつものようにダイレクトメールが
山のように積まれている。
少し手を触れれば崩れてきそうな封筒の中から、
今月父が出席する予定だった、勤めていた会社の同窓会の案内を探す。
毎年、新横浜駅近くのホテルで行われているものだ。
これは間近に迫った予定だったせいか、父が椅子に座った時丁度手元になる位置に
その案内の封筒はあった。表に、「出席 11/17」と覚書がしてある。
欠席の、連絡をしなければならない。
封筒の中を確かめ、バッグに仕舞う。
枯れかけた仏壇の花を片づけてから、病院に戻った。


再度病院へ

病室に入り眠っていた父を起こして、「同窓会事務局へ欠席の連絡をしておくから、
残念だけれど、来年は出席できるようにリハビリ頑張ってね」と言うとまた泣いている。
会話が途切れるとほどなく眠ってしまうので、目覚めた時に私がいない時の父の様子を想うと
去り難かったが、「また来るからね、お父さんが眠るまではここにいるから」と言って、
ベッド脇に座り、眠りについた父を見届けてから、病室を後にした。


11月12日

新幹線車中

父が私に用事を頼みたいので来てくれと言っていると、兄から連絡があったのは、昨日の夕方だった。
先週3日に行ったばかりなのに、わざわざ遠くに居る私を呼ぶのはどんな用事のためなのか。
旅費がかなりかかることは父にもわかっているはずで、それほど無理を言う人ではないのだが・・・
だが、身体が動かず儘ならない父の心を想い、父の命が幸運が重なり今あることに感謝しつつ、
父の居る広島に向かうことにしたのだった。

静岡を過ぎたあたりで、突然目の前が明るくなる。車窓から表を見ると、強く明るい陽が射していた。
雨雲の切れ間の真下を、新幹線は走っている。
天気予報の言っていた通りだと思いつつ、遠く続く、深く明るい青空を見て
もう、このまま晴れるのだろうな、と、さらに西へ向かう新幹線の中でぼんやり考える。
名古屋も過ぎて内陸部へ入り、ふと気が付くと四角い窓の向こうは、また雲に覆われている。
よく見ると、雨粒こそ見えないが、道が濡れている。
短い時間で、長い距離を移動する新幹線。
この線路の上、ところどころに残る雨雲の下を縫うように進んでいるのだろうと思う。

やや重く鈍い雲の京都、そして大阪を過ぎる。
岡山に近くなった頃には、また雲間に青色が覗いていた。
広島駅からさらにまた離れた病院へ向かう在来線での道のりを想い、些か安堵する。

新幹線の中で、これを書く。
速度が出る区間は結構揺れて、字も歪んでいる。


前回の帰省で、実家から持ち帰ったものが、同窓会の案内文書の他にもうひとつあった。
広島から新横浜の新幹線指定券の申込書だ。
多分B6かA5の、うすっぺらな紙切れだ。

「 喫煙 窓側
  行き 11月16日(水) のぞみ22号 16時26分発 広島駅から新横浜駅まで
  帰り 11月17日(木) のぞみ25号 16時09分発 新横浜駅から広島駅まで 」

同窓会当日の出発では開会に間に合わないので、前日来て、私の家に泊まるはずだった。
去年は、会の当日もそのまま泊まって、その翌日の朝出勤する私と一緒に家を出て
広島に帰って行ったのだが、今回は同窓会が終わったその足でもう帰るつもりだったようだ。
仕事に感けて、日頃ろくに電話もしてこない娘の家に泊まっても会話もないし、
却って寂しいと思ったのだろうか。
・・・酔った時に書いたのか、駅名の字が小刻みに震えている。
新幹線車中で書いた、自分の歪んだ字を見て、この申込書の父の字を思い出す。
16日の、広島発時刻の16時26分の26に、二重線が引いてあり、すぐ脇に27と書いてあった。
こういうところが、父はひどく几帳面だ。
申込書に書いた時刻で、のぞみ22号が走るわけではないのに。
実家でこれを見つけたとき、いかにも父らしい几帳面さに、ひとり苦笑した。
そのあと、やはりたったひとり、散らかったテーブルでこれを書いていた父を想い、
そして、病室で、私が何と言葉をかけても泣いていた父を想い、私も、少し泣いた。

アナウンスは、あと5分で広島に着くと告げた。
窓から見える空は青く、街並みの遥か遠くの高いところに少しだけ、薄い雲が浮かんでいた。

by rin6174 | 2005-11-18 01:31 | 雑文・個人 | Comments(2)

Commented by corobo at 2005-11-27 03:13
二度目の広島行きの車中で、倫さんはある種の高揚感に浸って
いたのではないでしょうか。
複雑な心境の中、でも、鳩尾の辺りから下に向かってスーッと
何かが抜けていく思い、そんな中で書かれたのではないかと
想像しています。
わずかな薄い雲を払い除けるような青い空を見つけた倫さんは、
お父様の頼みをどのように聞いたのでしょうか。

過去に読ませてもらった倫さんの文章は、行間をもたせる
書き方であるように記憶しています。
でも、この「雨を縫う」は、行間を詰めるように書かれている。
リズムがある文章で、説明的なギクシャクしたところもなく
素晴らしいと思いました。
Commented by rin6174 at 2005-11-27 08:45
coroboさん

こんな時間に、しかも我儘なお願いに早速応えて下さって、ありがとうございます
実は、父から「この日」「私に」「どうしても」が三拍子揃った話は聴けませんでした
頭の中に大きなダメージがあった時のちょっとピントが合わなかった言動のようでした
それも、私が後日そう判断したことで、二度目の帰省当日は、
父が私を呼んだ明確な理由を話せないことを、あまりにも淋しかったから
だろうかなどと考えていました

新幹線車中、晴れと雨の繰り返しの中、
「天候」という、自分には抗えぬものの変化を感じつつ、移動しておりました
想いを「受容」に持って行こうと、無意識に準備していたのかもしれません

思い出したことを移動車中で書いたので、淡々とならざるを得なかったこともありますが
心に浮かんだ言葉をある程度客観的にただ記録しておこうと思いました
この出来事を感傷的に書くとかなりべたついた物になると思い、あまり手直しもせず
心の変化がもれないようにとだけ考え、少しの手直しだけでここに載せました

こんな独り言みたいなもの、読んでくださって、ありがとうございました

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