日々是好日:雑文・個人
2008-04-14T23:11:10+09:00
rin6174
わずかな時間
Excite Blog
声について
http://rintmk.exblog.jp/8660398/
2008-04-14T21:45:00+09:00
2008-04-14T23:11:10+09:00
2008-04-14T21:45:20+09:00
rin6174
雑文・個人
それが何の音なのか、瞬時にはわからなかったくらい、その場に不釣合いな音だった
読んでいた、戦時中を描いた大岡昇平氏の世界から一気に街の珈琲店の雑音に引き戻されて
思わず振り返ると、「音」の発生源は、若い三人の女性の会話で
その中のひとりの話し声が突出して張りがあり大きく、空気をつんざいているのだった
他のふたりの声は、珈琲店の注文をとる声や低く流れているジャズにうまく溶け込んでいるのに
その女性の声だけが、ほとんど脅迫的に響き渡り、耳の中に強引に入ってくるのだ
「で、どうする?どこ行く? あたし南禅寺見たいー」
席に落ち着く前から、椅子に腰掛けながら始まっていた会話は、
席にしっかりと座ってからはさらにくっきり感に拍車がかかり、ずんずんと耳に入ってくる
「お金どうする?もうここで払っとこうか?」
「えーと、にまんよんせんごひゃくえん でー、じゃ、○○子にこれ払っとけばいい?はい、これ」
・・・ 費用の額までわかってしまうではないか(笑)
京都旅行の相談をしているのだと、おそらく店中の人がわかってしまったであろう
その会話の音のせいで、全く小説に戻れなくなった私は後ろの席を時々振り返り、
金属音の発生源の女性がどんな年恰好なのかを盗み見た
横顔しか見えないその顎の下は、ふんわりとまあるくふくらみ、唇はやや厚め
鼻先はやや丸く、軽く上向きである
髪はストレートのセミロング よく見ると体つき全体もかなりふくよかである
話す様子も、ごく普通に話しをしていて、どう見ても大きく声を出そうとしているようには見えない
地声が、デカイということか?
「大きい」というより「デカイ」という形容の方が合っている
その、プチオペラ歌手のような体格を見て、やや納得した
そのデカイ声の押し付けがましい感じには正直「うるさいっ」と叫びそうになったが
同時に、自分の声が周囲にどう聞こえているのかが、ものすごく気になってしまった
自分の声を録音したものを聴くと、大概の人はとても嫌な声だと言う
骨伝導で聴いている自分の声とはかなり違うものだと嫌というほど思い知り、がっかりしてしまう
・・・素晴らしい美声なんて贅沢言わない
ベースは自分の声でもいいから、耳あたりのいい、よく響く声になりたいのだ
太く、深く、よく響く声に・・・なりたいのだ ・・・!
中途半端に低くて、街や生活の雑音に紛れてしまう声の私は、
自分で意識して大きめの声を出さないと相手が聞き取りづらい場面があり
よく「何?」と聞き返されてしまう
でも大きな声で話すのも話されるのも好きではないので
もうすぐ友達と一緒に京都旅行に行くであろう地声のデカイ彼女と一緒に、
申し訳ないが話したくはない(笑)
けれど、一緒にゴスペルは歌ってみたい(かもしれない・・・)
]]>
いま生きているということ
http://rintmk.exblog.jp/4988958/
2006-11-19T23:04:00+09:00
2006-11-23T22:35:46+09:00
2006-11-19T23:04:45+09:00
rin6174
雑文・個人
皆さんのコメントで見方や想いを変えて考えることができました
ありがとうございます
的外れな言葉も多いと思いますが、嬉しく考え、お返事させていただきました
また躓いた時、私の独り言にお付き合い下さい
よろしくお願い致します
11月22日深夜追記
・・・こんな独り言みたいな雑文に、コメントをありがとうございます
それぞれの方が仰る言葉が、それぞれに、沁みてきます
それぞれのお言葉に、考えることがあります
私の想いと照らし合わせて、少し時間をかけて考えて
お返事をさせていただきたく思います
・・・本当に、ありがとうございます
このタイトルの歌は、その昔小室等が歌っていました
まだ埃っぽい制服を着てフォークギターを抱えていた頃にこのLPを買い、
この歌の詩を書いたのが谷川俊太郎だということを知りました
・・・・
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
こもれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
そんな歌いだしで始まるこの歌を、
子供だった私も「生きる」ことの意味に近づこうと思いつつ
聴いて、そしてギターを弾いていたような気がします
友人や身内の死に遭遇した時、自分が生きているということは、
「死なないで欲しい」と思う存在があることだろうかと
ふと考えました
自分にとって、「死なないで欲しい」と思えるものが存在し、
自分が何かにとって「死なないで欲しい」と思われる存在であること
それは、今自分が生きていればこその思いなのではないかと
でもあとから考えたら、
そんな相対的なものがなければ「生きる」を定義できないのかと思い
ちょっと落ち込みました
今朝着替えるときに、膝に結構大きなアザを見つけました
今たくさん入ってきている仕事があって、多分その仕事中にやったんだと思いますが、
要はこのアザが生きているということだと妙に納得したりしていました
何かにぶつけても気づかないでせわしく仕事をし、
その対価で収入を得て、
その収入で日々の糧を得て、
そして、ぶつけたところは生きているから反応して青くなる
先週は帰りの遅い日が続いて、気分も冴えない毎日で
皆さんへのレスもまるで亀でした
なので、気がつくと考え事ばかりしていました
他の人たちの、いま生きているということ
それは一体、どういうことなんだろう
そんなことを考えているとまた眠れなくなるので
今日のところは、ウィスキーを熱いお湯で割ったものでも流し込んで眠ってしまうことにして
明日にでもまた、考えてみることにします
『生きる』-谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木(こ)もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声(うぶごえ)があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
]]>
いつかの独り言
http://rintmk.exblog.jp/4210046/
2006-07-23T23:45:00+09:00
2006-07-23T23:46:05+09:00
2006-07-23T23:45:05+09:00
rin6174
雑文・個人
ちょっと棚を整理していたら、
昔あれこれ思いつくままに文章を書いていたノートが見つかりまして
整理途中なのについ読んでしまいました(笑)
この文章を書いた時、一体何を思っていたのか
思い出しながら読みました
・・・・まあシンドイと思っていたであろうことは確かですね(笑)
それでも、何かに勇気を得て、書いたんでしょうねえ
自分勝手な文章ではありますが、健気と思ってしまいました(あっはっはっは)
今も子供ですが、もっと子供だったのだと、改めて思わされます
自分の子供さ加減に嫌気がさす毎日ですが
自分とは縁を切るわけにはいかないので
また頑張ってみようと、思わせてくれた
そんないつかの独り言でした
人気のない砂浜にしゃがみ
潮騒が伝える言葉を
ななつ 聞き取ったら
ゆっくり歩き出そう
道のない林の中で
風が揺らす枝葉の音が
旋律になって心に届いたら
共に声で奏でてみよう
そうだ
まだきちんと
冷たい冬の空気を
皮膚に刷り込んではいない
目蓋を開くのも憚られるような
そんな冷たさを
真正面から感じなければ
冬を迎えたとは言えないと思う
年が明けぬうちに
やっておこうという
期限の感覚は
どこから来るのだろう
その感覚すら生まれなかった
追われるばかりの日々は
じきに終わる
何をしようかと
思いを巡らすときは
追われぬ日々の中にある
きっと
もうじきやってくる
会社員でも
家庭人でもない
自分の時間が
精神の充実だけで
生きてゆける
自分の日々が
]]>
欲しいもの ・・・だからどーしたいんだってば
http://rintmk.exblog.jp/4156197/
2006-07-16T10:47:14+09:00
2006-07-16T10:47:14+09:00
2006-07-16T10:47:14+09:00
rin6174
雑文・個人
梅雨明けもまだなのに、凌ぎ難いほどの暑い日が続いています
土、日、月と連休だったはずなのですが、新規の仕事が入り月曜は仕事になりました
ですがまあ、来月には夏期休暇があり、今のところ休める予定です
休めると言えば聞こえはいいけれど、要はそのあたりに仕事がないということで、
その分売り上げがガックリ落ちるということ(涙)・・・うまくいきません
それはそれとして、折角時間ができそうなのでどこかに出かけたいと思い
帰省する日を除いた時間で出かけられるところでいい場所がないか考えているところです
日頃ないものを急にあてがわれると戸惑うもので、中々すんなりと決まりません
ちょうどどこも混雑する時期ですし、早めに決めないと行っても泊まれないかもしれません
そう思うと焦る心
「一番行きたいと思うところで気持ちよく過ごしたい」
そう自分の思い通りにいくことばかりでないのはわかっているつもりですが
あまりないチャンスなだけに、希望ばかりがてんこ盛りになって収拾がつきません
休みの計画をたてる休みが欲しいぞ~なんてあれこれ考えているうちに平日は寝てしまう始末
欲しいもののひとつである「まとまった時間」
折角手に入りそうなこれを駆使するために実は体力が必要であったということに気づきました
時間と同じくらい欲しいもの 「体力」
こうして、欲しいものは限りなく出てくるのだろうな とつくづく思い知る今日なのでした
こんなことに今頃気づくなんてハズカシイ・・・
]]>
残りの時間
http://rintmk.exblog.jp/4117502/
2006-07-09T22:19:47+09:00
2006-07-09T22:19:48+09:00
2006-07-09T22:19:48+09:00
rin6174
雑文・個人
数日前、誕生日でした
ウン十ウン回目の誕生日でした
まだ年寄りとまでは言いませんが、残りを意識する年齢にはなったと思います
実際にはもう数年前から、人生の折り返しや残りを意識して暮しています
残りと言うとややネガティヴな感じがしますが
消極的になっているわけでも、諦めたり暗くなったりしているわけでもありません
人生に限りがあるということを、理屈でなく実感できるようになって、
時間が、時というものが、いとおしく、大切になった
そんな、ことなのです
若い頃には、気持ちに引っかかりもしなかったことが心のフィルタに留まるから
立ち止まり、それについて考える
些細なことを、指の隙間から零れ落ちてしまわないように丁寧に掬い上げ
その一つ一つについて、心に問いかけてみる
残りは もちろん「残り」だから減るけれど
けして増えはしない
だからどんなことをして過ごす時も、
「自分の時間を過ごしている」 という思いで、生きていたい
そんな心境の 誕生日5日後です
]]>
眠れない夜
http://rintmk.exblog.jp/3757255/
2006-04-07T04:48:00+09:00
2006-04-07T04:47:19+09:00
2006-04-07T04:45:42+09:00
rin6174
雑文・個人
頭の中に、「ん?」という文字が浮かぶ
目覚ましの代わりに枕元に置いてある携帯を見ると3時23分
ひどくがっかりする
これは、まだ起きたくない時間だ
また目を閉じる ・・・が意識が落ちて行かない
仕方ないの一度起きてみる
身体を縦にすると、貧血の時のようにふらふらする
頭はさえざえとしているが、身体は眠っているままなのだとわかる
もう一度ベッドに戻り布団を被る が意識は明瞭だ
寝る前に考えていたことが、頭の中に次々と戻ってくる
寝る前に考えていたことは、出来れば思い出したくないことだった
止めようもなく、意識は更にはっきりしていく
こうなるともう駄目だった
数時間前、寝酒を飲みながら読んでいた文庫本をもう一度手にする
何頁か読み進むと、主人公の心象風景は奇しくも
今の私のそれと似ていた
自分と似たたぐいの、主人公の孤独に少し心を治められたので
少量のウィスキーを枕元に置き
もう一度、文庫本に助けを求めてみることにする
春の命の盛り
これを見たときの
あの寂しくも穏やかな心よもう一度戻っておいで
網膜に映る桜と、傍らの小説よ
何とかあと一時間、私に安らかな眠りを与えてくれないか
]]>
続・導かれ集う
http://rintmk.exblog.jp/3738523/
2006-04-02T22:05:55+09:00
2006-04-02T23:44:04+09:00
2006-04-02T22:05:55+09:00
rin6174
雑文・個人
まだ二十代だった私には大変な出来事でした
友人の御通夜やお葬式に行くことは、認めたくない現実を認めざるを得ない
場所にいくことですから、本当に嫌でした
そして、標準的な寿命とは言えない年齢ですから、元気に脈打つ命を目の前でへし折られたような・・・
・・・そんな酷さが嫌な気持ちを助長したこともあります
若い身近な人が突然消えたということで、遠いと思っていた「死」がいきなり自分に迫ってきた
そんな怖さもあったでしょう
一緒にお葬式に行った友人はこんなことを言っていました
「いやだなあ、俺の時は絶対葬式なんかやりたくない」
けれど、亡くなった友人のお母さんは、私が「少しはお休み下さい」と言った言葉にこう仰いました
「まあ、こうして御通夜お葬式とバタバタ準備をしたり皆さんをお迎えしたりしていれば
その間だけでも気を張っていられますから」
この時初めて、この人生最後の儀式を自分の身近な人の、また自分の、ものとして考えました
そして、短い間に突然、何度もやってきた身近な人の死を受けて、
生死についても、非常に真剣に悩み、大きな石に躓いて転んだのです
事故は、ほんの一瞬の時間のずれが生死を決め、怪我の軽重を決めると思いますが
何故事故の現場に居合わせたのが友人で私ではなかったか、
人の運命の在り方を真剣に悩み、高じて何故友人が死んで自分が生きているのか
そんな到底答えが出せないようなことを考え続けました
もともと何かに躓くと、自分なりにでも何か答えを出さないと
一歩たりとも前に進めない因果な性格なのです
で、かなり長い日数考え続け、ある日「ああそうか」と思ったことがありました
根本的な答えではありませんでしたが、停滞していた私が納得し、
また前に進み始めようと思うのには充分な答えでした
「自分で生まれようと思って選んで生まれてきたわけではないのだから、
死ぬまで生きなければならない」
おかしな答えですね(笑)
でも、その時の私にとっては何かこう、すとんと腑に落ちたんです
気がついたら生まれちゃっていますから、生死は私たちにはコントロールできない、
してはいけないところにあると、そんなところに落ち着いたんです
以来、命というものを自分のものというより「授かり預かったもの」というような感覚で
生きてきたように思います
だから、自分が死んだ後は、生きてきた痕跡が残らない方がいいし、
死んだ自分の周りに人が集まることなど何か醜い自分を見られるようでそんな点でも嫌でした
お葬式もやらないで欲しいし、骨を残さないで欲しいのでお墓もいらない
そう、思っていました
ですが先日、この前の記事に書いた御通夜の時に
あまりにも和やかで懐かしい時間を過ごした私は、ちょっと考えが変わりました
自分が死んだ時に、集おうとしてくれる人があるなら私の周りに集まってもらいたい
そんな人達がいてくれるなら、集ってくれる人達を迎えてくれるよう家族に頼みたい
そんなことを、思ったのです
御通夜もお葬式も、「身近に残ってくれていた人のもの」
だから、今私は、私の友人と
私が死んだ時に、私をネタにして集ってくれるような付き合いをしたいと思う
家族には、そんな集いの面倒を見て欲しい、一緒に昔話をしてして欲しい、と思う
これからは、そんな風に人と付き合えたらいいなあと
そんな風にしていこう と、そんなことを考えました
そう思えたことで、年をとる憂鬱さから少し解放されました
年齢を重ねる辛さが、少しずつ薄らいでゆくことは、嬉しく、また有り難いことと思います
]]>
合掌
http://rintmk.exblog.jp/3506080/
2006-02-10T02:37:55+09:00
2006-02-10T02:37:55+09:00
2006-02-10T02:37:55+09:00
rin6174
雑文・個人
大切な友人のお母さまが、先日他界されました
心から、ご冥福をお祈り申し上げます
命に限りがあるということは、当たり前のことなのに、
特に自分の命に限りがあるということについては、
甚だしく実感が薄かったというのが正直なところです
親という、自分をこの世に産み出してくれた存在が消えた時
命、特に自分の命に限りがあるということを、実感させてくれました
生きて自分を育ててくれたばかりか、その死の時まで、
まさしく身をもって大事なことを実感させてくれた
自分の母の死の時は、そんなことを考えました
無意識に無限大と感じていた(特に自分の)命の、限りがやや実感できてきてから
命は、そして時間は、ひどくいとおしく輝きはじめました
流されて、投げやりになり勝ちな毎日に気がついたら
何とか軌道修正し、時を大切に過ごしたい
そう思う日々です
大切な友人に願うこと
あなたの限りある時も、大切に生きてください
あなたをこの世に産み出したお母さまは、そう望まれていると、私は思うのです
]]>
最後の会社
http://rintmk.exblog.jp/3415986/
2006-01-22T22:34:33+09:00
2006-01-22T22:58:24+09:00
2006-01-22T22:34:34+09:00
rin6174
雑文・個人
出向社員として直行直帰で仕事をしてきたのですが、常駐先にはそのままお世話になり、
仕事は続けさせていただけることになっています
が、所属する会社が変わりました
先週から今週末にかけて、実務の合間にその準備・・・移籍しても今まで通り仕事を
続けるための根回しや、会社に返す物を揃えることなどに追われていました
これから使用するPCをセットアップし、返すPCからデータを移動したり
返す分の工具を新たに購入したり、作業着をクリーニングに出したり・・・
中でも大変だった(まだ途中なので、厳密には過去形にはできません)のが携帯です
私の仕事上必需品である携帯を会社に返すため、
新しい番号を連絡しなければならない先がかなりありました
これを機に個人の携帯も新しく購入したため、
アドレス帳のグループ分けなどマメにやっていない私は、
もうこの作業にぐったりしてしまいました
ああ、あと年金や保険など役所の手続きもいくつかありますね・・・
移籍するだけで仕事は変わらないのに、色々やらねばならないことがあるものです
今度所属する会社は、元同僚が代表を務める、昨年立ち上げたばかりの会社です
代表と他二名の、まだ事務所もない会社です
小さな小さな会社ですから、経営も管理も実務も全員が携わらねばなりません
大志があって移籍したわけではなく、他に選択肢はなかったからなのですが、
こうなったからこそできることも沢山あるわけで、頑張っていこうという気持ちになっています
所属が変わりましたから、仕事は変わらずとも改めてご挨拶せねばならぬ所が沢山あります
今週一週間で何とか終わらせるのが目標ですが・・・実務を抜けられる日はないので
やり繰りを検討中です
今まで自分の生活環境によって様々な職種、会社を渡り歩いてきましたが、
もういいトシですし、所属する会社を変わるのは今度の会社が最後と思っています
まだまだ名ばかりですが、初めて「役員」なるものになりました
職業人としてだけでなく、人間として、自分が少しでも思う姿に近づけるように、
そして、この後は仲間を増やさねばなりませんが、
仲間になってくれた人たちによりよい会社を残せるように、努力したい
柄にもなくそんな殊勝なことを考えて、忙しく過ごした一週間なのでした
]]>
一週間のご無沙汰でございました
http://rintmk.exblog.jp/3174881/
2005-12-04T22:02:37+09:00
2005-12-04T22:08:08+09:00
2005-12-04T22:02:37+09:00
rin6174
雑文・個人
新しい写真ネタがないこともありますが、
ちょっと気持ちが「凪」になっているようなのです
-----------------------------------------------------------------------------
父が倒れたことをきっかけにして
今まで実家と遠く離れた場所に住んでいることに甘えて
見つめるのを避けてきたことを
目の前に突きつけられてしまったのでした
脳内出血を起こした父は、そう簡単に退院はできませんが
病院には半年くらいしか入院し続けられません
それで、すでにリハビリが出来る介護施設への入所順番待ちをしています
そこで、一人で暮せるほどに回復すれば、自宅に戻れると言うことになりますが
・・・・そうでなければ、介護老人ホームへの入所も考えなければなりません
回復しなければ、全く半身が麻痺していて、素人の介護は難しいと思われます
車が運転できなければ、
一人で暮すことは難しいと思われる場所に、実家はあります
どうも今の状態では、よほど回復しても車の運転などは無理のようです
実家から片道一時間少々のところに兄がいますが、
自営のためほとんど休みがなく仕事場に寝泊りしている兄に
実家で父と住んでもらうわけにもいきません
今想像できる一番いい状態は、
身の回りのことが少しは出来る状態に回復してくれた父が
兄の近く、もしくは兄と一緒に住むことと思われます
であれば、実家を処分し、治療や介護費用や引越しなどに充当することを
考えねばなりません
このまま、父はもう自分の家に帰る事はできないのだろうか
そう考えると辛くてやりきれません
何にしても、父の回復の状態次第なのですが
母の入院、そして死から荒れ放題の家を片づけることは、しなければなりません
帰省のたび、少しずつ片付けてはいましたが、
家中となると、帰省の間ではとても間に合いません
ですがとりあえず、この年末年始で休める日の中の二日間は、片付けをしに帰省します
もちろん、家中できるわけはないので
まずは、ずっと見ないふりをしてきた、一番やりたくなかった部分を、片づけます
母のものです
中でも他の人が使えない、転用などしないもの、肌着・・・下着や靴下などです
気持ちがどうにもそこへ動かず、手を付けられずにいたものです
でも、そろそろ何とかしなければなりません
大晦日、元日と、それを片づけます
生まれてからこの年になるまで、
大晦日から元日にかけてを一人で過ごした年がなかったことに今気がつきました
それもかなりばっちい場所(実家です・笑)で、
気の進まない片付けをしながら・・・正直、かなり、ぐったりしています
そんなわけで、何となく明るいことも書けず、新しい写真もなく、
さりとて以前撮った写真で何か添える言葉を考えて・・・という気にもならず、
何となく一週間がそのまま過ぎてしまいました
せめて、自分の体調くらいは保たなきゃと思う毎日です
ここまで読んでくださった方、つまらない話で申し訳ありませんでした
しかしこうして暗い気分を吐き出したので
「とりあえず、やるべきことをやろう」、という気分にはなりました
さて、師走もすでに四日目
今年の仕事や懸案事項をきっちりやり遂げて
来年は何事も好転するように、前向きに気持ちを整えてゆきます
]]>
雨を縫う
http://rintmk.exblog.jp/3085115/
2005-11-18T01:31:35+09:00
2005-11-22T23:41:23+09:00
2005-11-18T01:31:35+09:00
rin6174
雑文・個人
早朝
今月2度目の帰省で新幹線に乗るために、早朝家を出る。
まだ少し暗い。そして思っていたよりも雨が強い。
天気は西から回復するという、出掛けに聞いた天気予報をあてにして、
晴れれば荷物になる傘を嫌い、地下鉄横浜駅の入り口まで走る。
11月3日
病院
兄からの電話で父の入院を知らされたのは、10月23日の晩だった。
脳内出血を起こして倒れ、命に別状ないが、左半身が麻痺しているとのこと。
意識はあるし、こちらの言うことはわかるようだというので、休暇はとらず、
翌週3日の祝日に様子を見に行く。
入院先は実家の近くの町立病院だ。
実家は広島の町から中国山地側へずっと入った田舎で、日に数えるほどしかバスがない。
まともに行ってはあまりにも時間がかかるので、広島駅から在来線に乗り継ぎ40分、
病院までの中間地点である兄の店に寄る。(ここへも、電車は1時間に約2本くらいしかないが)
兄の店で車を借りて、そこから運転すること1時間、自宅から約7時間の道のりを経て、
やっと見慣れた病院に辿りつく。
ここは母が1年の入院の末に亡くなった病院だ。ここに来る時はいつだって
鉛を飲んだように気持ちが重い。
兄に聞いていた病室には居らず、病室の名札を見て探したが父の名前がないので、
詰所で看護婦さんに尋ねると、病室が変わったとのことで、言われた部屋に行き名札を見ると、
やはり父の名前はなかった。
手前の同室の方に遠慮しつつ病室に入ると、父はよく眠っていた。鼻が詰まるのか、口をあけている。
この日のうちに帰らねばならないので長居は出来ない。躊躇したが、父の手をとり声をかける。
目をあけた父は私を見て驚いたような顔をして黙っている。メガネを外しているので
よくわからないのだろうか。
様子を見に来たのだと言う私を見て父は泣く。
日頃父と私はあまり気が合わないので頻繁には連絡を取り合わない。
だから、久しぶりに会ってもあまり話さないし、話すことは世間話などではなく要点ばかりだ。
この日の要点は、「私がいかに父を心配していたか」ということと、「父が一命を取り留めたことが
いかに幸運であったか」ということだった。
こんな話をすれば、やはり父は泣く。
年をとって涙脆くなってはいたが、事務的な話以外は、何を話してもすべて泣くのだ。
左目からも涙は出ているのに、動く右手で右目ばかりを拭うので、私が左目を拭ってやる。
少し話が途切れると、薬の所為なのかすぐに眠り始めるので、眠ったあいだに、
病院の近くである実家へ行った。
実家
当然誰も居らず、しーんという音がする家の中に入る。
いつも帰省した時と同じように、おそろしく散らかっているに違いないと思っていたが
入ってみると、存外すっきりしている。
いや、台所などは、夏の帰省時に私が片づけていったままの様子が保たれている。
その時説明した通り、ちゃんとゴミを何種類もの袋に分けて入れている。
冷蔵庫の中も、綺麗なままだ。
食堂のテーブルの上は、片づけきれなかったのでいつものようにダイレクトメールが
山のように積まれている。
少し手を触れれば崩れてきそうな封筒の中から、
今月父が出席する予定だった、勤めていた会社の同窓会の案内を探す。
毎年、新横浜駅近くのホテルで行われているものだ。
これは間近に迫った予定だったせいか、父が椅子に座った時丁度手元になる位置に
その案内の封筒はあった。表に、「出席 11/17」と覚書がしてある。
欠席の、連絡をしなければならない。
封筒の中を確かめ、バッグに仕舞う。
枯れかけた仏壇の花を片づけてから、病院に戻った。
再度病院へ
病室に入り眠っていた父を起こして、「同窓会事務局へ欠席の連絡をしておくから、
残念だけれど、来年は出席できるようにリハビリ頑張ってね」と言うとまた泣いている。
会話が途切れるとほどなく眠ってしまうので、目覚めた時に私がいない時の父の様子を想うと
去り難かったが、「また来るからね、お父さんが眠るまではここにいるから」と言って、
ベッド脇に座り、眠りについた父を見届けてから、病室を後にした。
11月12日
新幹線車中
父が私に用事を頼みたいので来てくれと言っていると、兄から連絡があったのは、昨日の夕方だった。
先週3日に行ったばかりなのに、わざわざ遠くに居る私を呼ぶのはどんな用事のためなのか。
旅費がかなりかかることは父にもわかっているはずで、それほど無理を言う人ではないのだが・・・
だが、身体が動かず儘ならない父の心を想い、父の命が幸運が重なり今あることに感謝しつつ、
父の居る広島に向かうことにしたのだった。
静岡を過ぎたあたりで、突然目の前が明るくなる。車窓から表を見ると、強く明るい陽が射していた。
雨雲の切れ間の真下を、新幹線は走っている。
天気予報の言っていた通りだと思いつつ、遠く続く、深く明るい青空を見て
もう、このまま晴れるのだろうな、と、さらに西へ向かう新幹線の中でぼんやり考える。
名古屋も過ぎて内陸部へ入り、ふと気が付くと四角い窓の向こうは、また雲に覆われている。
よく見ると、雨粒こそ見えないが、道が濡れている。
短い時間で、長い距離を移動する新幹線。
この線路の上、ところどころに残る雨雲の下を縫うように進んでいるのだろうと思う。
やや重く鈍い雲の京都、そして大阪を過ぎる。
岡山に近くなった頃には、また雲間に青色が覗いていた。
広島駅からさらにまた離れた病院へ向かう在来線での道のりを想い、些か安堵する。
新幹線の中で、これを書く。
速度が出る区間は結構揺れて、字も歪んでいる。
前回の帰省で、実家から持ち帰ったものが、同窓会の案内文書の他にもうひとつあった。
広島から新横浜の新幹線指定券の申込書だ。
多分B6かA5の、うすっぺらな紙切れだ。
「 喫煙 窓側
行き 11月16日(水) のぞみ22号 16時26分発 広島駅から新横浜駅まで
帰り 11月17日(木) のぞみ25号 16時09分発 新横浜駅から広島駅まで 」
同窓会当日の出発では開会に間に合わないので、前日来て、私の家に泊まるはずだった。
去年は、会の当日もそのまま泊まって、その翌日の朝出勤する私と一緒に家を出て
広島に帰って行ったのだが、今回は同窓会が終わったその足でもう帰るつもりだったようだ。
仕事に感けて、日頃ろくに電話もしてこない娘の家に泊まっても会話もないし、
却って寂しいと思ったのだろうか。
・・・酔った時に書いたのか、駅名の字が小刻みに震えている。
新幹線車中で書いた、自分の歪んだ字を見て、この申込書の父の字を思い出す。
16日の、広島発時刻の16時26分の26に、二重線が引いてあり、すぐ脇に27と書いてあった。
こういうところが、父はひどく几帳面だ。
申込書に書いた時刻で、のぞみ22号が走るわけではないのに。
実家でこれを見つけたとき、いかにも父らしい几帳面さに、ひとり苦笑した。
そのあと、やはりたったひとり、散らかったテーブルでこれを書いていた父を想い、
そして、病室で、私が何と言葉をかけても泣いていた父を想い、私も、少し泣いた。
アナウンスは、あと5分で広島に着くと告げた。
窓から見える空は青く、街並みの遥か遠くの高いところに少しだけ、薄い雲が浮かんでいた。
]]>
梅雨中休み
http://rintmk.exblog.jp/2139735/
2005-06-26T11:49:45+09:00
2005-06-26T11:48:22+09:00
2005-06-26T11:48:22+09:00
rin6174
雑文・個人
暑く寝苦しい夜の汗を洗い流したタオルケットも
並んで風に揺れている
梅雨の休憩が二日間
自分の休日にあたることの
穏やかな嬉しさ
シンクを磨き
布巾を白く洗いあげる
お風呂の垢をこすり、流し
風を通す
胡瓜と茄子を塩で揉み
きゅっと絞って
梅酢で和えて
刻んだ茗荷を添えよう
雨の恵みを享けながら
太陽と風の訪れも迎えられ
日々の暮らしを整えることができる有難さ
些細なことひとつひとつは
幸せ
幸せと思えることの
幸せ
]]>
生きるという枠の中で
http://rintmk.exblog.jp/1907105/
2005-05-28T18:29:51+09:00
2005-05-28T18:30:46+09:00
2005-05-28T18:27:10+09:00
rin6174
雑文・個人
孤独や絶望や歓喜や安堵が
かわるがわる
波のように押し寄せて覆いかぶさる それらは
日常の凪の合間に繰り返される
それらを 受け容れたら希望が生まれた
そうして確信できたのは
自分の命の存在と
生かされているということだった
気持ちの高揚は年齢と共に少なくなるが
凪いだ心に受容が
私の中に確かな希望を生んでいる
その自分の目に映るあらゆる命は泣けるほど美しい]]>
読めそうで読めない漢字
http://rintmk.exblog.jp/1188055/
2005-03-20T08:31:43+09:00
2005-03-20T08:30:33+09:00
2005-03-20T08:29:24+09:00
rin6174
雑文・個人
・・・ というタイトルの本です
「読めそうで読めない」とされる漢字が、どんなものなのかと思い、買いました
えー・・・ 読めません(笑) お恥ずかしい
この頁の勝率はまだいい方ですが、それでもやっと八割といったところです
この本は「常識編」と「学識編」という二つの項目で編まれています
常識編は確かに、読めそうな錯覚に陥りますが、よーく考えないと読めない漢字が多いです
学識編は、読めなさそうで、 ・・・やはり読めません(笑)
書く事が少なくなりました昨今、意識して読み書きせねばと思いますが、
肝心の脳が老化しており、「書き込み不能」
知識として記憶してくれません
まるで、出来の悪いCD-RWのようです
]]>
新幹線車窓
http://rintmk.exblog.jp/568874/
2005-02-05T23:17:38+09:00
2005-02-05T23:15:37+09:00
2005-02-05T23:15:37+09:00
rin6174
雑文・個人
東海道線のオレンジとグリーン
その向こうに相模湾
グレイの雲のフィルタで細分された微かな光の粒を
波立ちで
惜しむように集めて
海は反射する]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/