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合掌


大切な友人のお母さまが、先日他界されました
心から、ご冥福をお祈り申し上げます



命に限りがあるということは、当たり前のことなのに、
特に自分の命に限りがあるということについては、
甚だしく実感が薄かったというのが正直なところです

親という、自分をこの世に産み出してくれた存在が消えた時
命、特に自分の命に限りがあるということを、実感させてくれました
生きて自分を育ててくれたばかりか、その死の時まで、
まさしく身をもって大事なことを実感させてくれた
自分の母の死の時は、そんなことを考えました

無意識に無限大と感じていた(特に自分の)命の、限りがやや実感できてきてから
命は、そして時間は、ひどくいとおしく輝きはじめました

流されて、投げやりになり勝ちな毎日に気がついたら
何とか軌道修正し、時を大切に過ごしたい

そう思う日々です


大切な友人に願うこと
あなたの限りある時も、大切に生きてください
あなたをこの世に産み出したお母さまは、そう望まれていると、私は思うのです

by rin6174 | 2006-02-10 02:37 | 雑文・個人 | Comments(9)

Commented by tabo2005 at 2006-02-10 07:13
倫さん,おはようございます。
私の母ももう79歳ですので,
“親という、自分をこの世に産み出してくれた存在が消えた時
命、特に自分の命に限りがあるということを、実感させてくれました”

“無意識に無限大と感じていた(特に自分の)命の、限りがやや実感できてきてから命は、そして時間は、ひどくいとおしく輝きはじめました”
の文は,とても心に染み渡ります。
そして,私自身も
“流されて、投げやりになり勝ちな毎日に気がついたら
何とか軌道修正し、時を大切に過ごしたい”
と思います。
朝から倫さんのメッセージでハートが暖まりました。
どうも有り難うございました。
では,行ってきます。
Commented by いなやん at 2006-02-10 15:36 x
先日友人の一周忌へ行ってきました。
昨年は悲壮感で一杯だった両親も、少し落ち着かれたようで少し安心もしました。
彼の家は金物屋なのですが、姉が社長に成られたそうで、少し荷が下りたのか、
また、彼の奥さんが小さな子供を二人連れて実家へ帰って行ったそうなのですが、それも寂しいことなのでしょうが、一つの区切りがついたのかも、などと思った夜でした。
Commented by corobo at 2006-02-11 01:55
>流されて、投げやりになり勝ちな毎日に気がついたら
何とか軌道修正し、時を大切に過ごしたい

若い頃は、こう思ってもあしたになると忘れてしまってました。
今は、1日おきくらいに思い出します。
そのたびに、背を真直ぐにして、胸張って歩いたりしてね(笑)。
Commented by kazahana297 at 2006-02-12 10:31
親の子への思いは 健やかに育って欲しいということだと思うのですが 私が親に何をしてあげれたか してあげられるかと考えると
出来ていない 出来なかったということが 想起されます なら今からできる事をすべきなのですが どうも人と言うものを考え直してしまいます 自分の中では相反する要素を見てしまいます だからどうなんだってこともないのですが 時折 振り返って生きて行こうと思います 
Commented by rin6174 at 2006-02-12 20:30
taboさん

死をきちんと捉えられてこそ、生きることが充ちると
つくづく感じる今日この頃です
「あーもーいいやー」という気になることばかりですが、「いやいやそれじゃいかん」と
軌道修正、その繰り返しです(苦笑)

お母様、いつまでもお元気で、お心にそった日々を送られます様
お祈りしております
Commented by rin6174 at 2006-02-12 20:48
いなやん

一周忌というのは、一年前の同じ季節ということで、
まだ中々思いを新たにというわけにはいかないのだろうと思いますが
それでも、時は確実に流れ、残された人々はそれぞれの一歩を踏み出すのですね
自分の人生を生きてゆくためにも、
受け容れてより良い道を模索せねばならないのでしょうね
Commented by rin6174 at 2006-02-12 20:51
coroboさん

「はっ」と気がついた時は何故か背中が丸くなっていて
気がついたあとは背筋を伸ばしちゃいますよね(笑)
「えーいもーいいやー」と「はっ、いかんいかん」を数限りなく繰り返し
一週間は過ぎていくのでした・・・
Commented by rin6174 at 2006-02-13 04:30
風花さん

>自分の中では相反する要素を見てしまいます
お父様、あるいはお母様の中にその要素を見つけてしまうということなのでしょうか
それとも・・・

人、や生きる、ということ、親の生き方、親と自分、自分の生き方、
そんなことを考えてみますが、必ず何度かは何かに突き当たり、
辛い気持ちになってしまいます
でも、目を背けないでいようと、それだけ思っています
出来れば受け容れようと
Commented at 2006-02-14 17:58
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